幡生- - -東萩- - -戸田小浜--石見津田- - -波子- - -京都
2006/08/08撮影
妻と萩へ旅行する際に乗換駅として久しぶりにホームに降り立ちました。すでにシャッターで閉ざされた立ち食いそばの店、今はもう見ることのできない車内販売のお姉さんの姿などを見ることができます。
このころ引き込み線で常駐していたDD51の姿も、今はもう見ることができません。
2015/05/13撮影
1962年夏に、兄と2人で叔父の家を訪ねたのが最も古い記憶として残っています。駅周辺の様子は大きく変わってしまいましたが、駅舎の外観は当時のままであるような気がします。
キハ187は鳥取からの特急「スーパーまつかぜ」。
キハ126は米子からのアクアライナー。
キハ40は普通長門市行き。
キハ120は普通浜田行き。
私が高校に通っていた3年間は、毎年夏になると大阪を9時50分に発つ下り急行「だいせん1号」に乗車し(大阪を12両編成で出発し、豊岡、米子、出雲市、浜田で切り離し、終着益田には2両が到着)、19時58分に1番線に降りたったものでした。帰りは益田を8時50分に発つ同編成の上り急行「だいせん2号」に乗車するか、夜中の3時10分に発つ上りさんべ3号を利用しました(米子で上りだいせん1号に乗り継ぎ、大阪には14時31分の到着)。1970年には、京都を22時03分に発ち、益田には14時01分に到着する普通「京都夜行」を利用したこともありました。学割で3000円だった山陰均一周遊券(7日間有効、急行普通席乗り放題)はとても威力を発揮しましたね。