1960年代、祖母に連れられ、祖母方の親戚のある広島県の安芸津を訪れていた頃の呉線は、C59やC62という大型の蒸気機関車が優等列車を牽引していました。しかし、1970年10月のダイヤ改正で
呉線も全面電化され、呉線から蒸気機関車の姿は消えました。
大学時代には、安芸津に立ち寄ってから、加計にある友人の実家を訪ねたりすることもありました。尾道・三原ミニ周遊券や宮島・広島ミニ周遊券と共にその頃によく使った列車が「音戸2号」でした。
ここでは、電化直後の「ヨンゴオトウ」改正時の時刻表で再現してみたいと思います。
22:58 京都 EF58+荷+荷+荷+荷+①指+②指グ+③B寝+④B寝+⑤B寝+⑥自+⑦自+⑧自+⑨自+⑩自+⑪自
寝台車3両に対して自由席6両という編成からも、全線を乗り通すというより、途中の乗り降りを重視した編成になっています。
自由席が6両あるものの、座席確保のために、京都から乗車することにしていました。
23:32 新大阪
23:50 大阪 大阪駅では3番線発着です。
1971年、偶然にも大阪駅でEF58型電気機関車の姿を撮影していました。
0:04 三ノ宮 日付が変わって、三ノ宮です。震災のあと、駅周辺の姿も大きく変わりました。
0:19 神戸 ここ神戸駅で、東海道本線から山陽本線に入ります。
0:36 明石
0:57 加古川 さすがにこの時間になると、加古川線も、高砂線も連絡はなかったようです。
1:18 姫路 このころは、姫新線に4本、播但線にも4本の昼行急行が定期運転されていました。姫路モノレールも現役だった時代です。
姫路駅名物、まねきさんの「駅そば」です。
1:36 相生 赤穂線の始発までおよそ5時間。でも、利用者はあったのでしょうね。
2:09 和気 さすがに2時を過ぎると車内も静まりかえっています。
2:41 岡山 高松港を0:20に出る連絡船で1:30に宇野港着。1:46宇野駅発の「急行 鷲羽1号」で岡山駅着が2:20。この乗客の乗り継ぎはあったでしょうね。
3:00 倉敷 この辺りから、深夜にもかかわらず、ほぼ10分おきの停車になります。
3:12 玉島(現 新倉敷)
3:20 金光
3:34 笠岡
3:51 福山
4:02 松永
4:14 尾道 10両を超える長編成の列車が止まれるように作られた長いホームが、今も残っています。
4:38 糸崎 EF58+荷+①指+②指グ+③B寝+④B寝+⑤B寝+⑥自+⑦自+⑧自+⑨自+⑩自+⑪自 切り離し 荷+荷+荷
貨車の切り離しと機関車の付け替えのため、長時間停車します。ほのかな記憶なのですが、その停車時間を利用して駅そばの販売をされていた、立ち売りさんの姿が浮かんできます。右手に大きなやかんを持ち、
首からたくさんの丼が並んだ木箱を提げ、お客さんから声がかかれば駆けつけて、やかんに入った出汁を丼に注ぎ込んで窓越しに手渡す姿、もしかすると記憶違いかもしれないのですが、うどんのような太い麺のそ
ばは、確かにC59やC62の煙突から立ち上る煙のにおいとともに私の記憶の中に刻み込まれています。
4:44 三原 いよいよ呉線へ入ります。三原駅では、浜吉さんが駅そばのお店を経営しておられましたが、惜しまれる中、2017年8月31日をもって閉店されました。
5:04 忠海 夏場だと、尾道水道あたりで朝を迎えるのでしょうか。呉線に入り、安芸幸崎駅あたりの海岸線からは、夏の日差しを浴びた島々の姿を存分に楽しむことができます。
5:27 安芸津
この列車を利用する主たる目的地が、この駅でした。祖母の親戚宅では、早朝にもかかわらず、いつも朝食の用意をしてくれていました。黒鯛のお刺身、ほのかに立ち上るみそ汁の湯気、
おばさん手作りの奈良漬け・・・。
「ヨンゴオトウ」改正前は、C59やC62という大型の蒸気機関車が優等列車を牽引していました。初めて撮影したのが、安芸津駅-風早駅間の急行安芸を牽引するC62でした。
5:55 に方
6:01 広
6:17 呉 昭和38年、小学校3年生だった私は、中学校1年生の兄と2人で大阪駅から呉駅まで各駅停車に乗車し親戚宅を訪れたことを鮮明に記憶しています。
6:46 海田市
線路の手前方向と左方向は山陽本線。右奥から来た呉線の列車は、この駅で下り方向の山陽本線に入ります。
6:54 広島 広島駅も大きく様変わりし、在来線の急行や特急は全てなくなってしまいました。ホームのそば屋さんもなくなり、全く旅情を感じない無機質な空間に変化しつつあります。
鉄道は、単なる移動手段と成り下がり、特に分割民営化以降、その傾向は強くなっているように感じます。庶民感覚からかけ離れた超豪華列車を運行するのもいいかもしれませんが、
のんびりと、旅そのものを楽しめるような手段を残しておいていただきたかったですね。