1968年10月、俗にいう「ヨンサントウ」のダイヤ改正で急行「三瓶」から改称されました。島根県益田市に住む叔父宅を訪ねるため、高一の夏休みに、初めての一人旅となりました。
大阪駅を発つときには、キハ58系(キロ2両を含む)12両編成でしたが、途中の駅で分割を重ね、益田駅到着時には2両編成。まだエアコンも装備されていない時代で、扇風機と全開の窓から吹き込む風で暑さをしのいでいました。気をつけなければいけないのが、ディーゼルカーでも排気ガスは出るということで、長時間乗車の場合はシャツなどを汚す心配もありました。しかし、日本海の雄大な車窓も捨てがたく、そこでめざしたのが先頭車両の進行方向右側の最初のボックスの窓側席。ここなら益田駅まで席を移動することもなく、排気ガスも気にせず景色を楽しむことができます。「1号車2番のD」この席が、その後も私の指定席となりました。但し、この席を確保するためには1時間以上前からホームに並ぶ必要がありましたけどね。
9:50 大阪 ①自+②自+③自+④自グ+⑤自+⑥指+⑦指グ+⑧自+⑨自+⑩自+⑪自+⑫自
1971年頃の様子です。当時の福知山線では、DF50が大活躍していました。だいせん1号は、1番線から、12両編成で出発です。
10:18 宝塚 わずか30分程で景色は激変。もう旅行気分に浸りきっています。
10:42 三田
11:09 篠山口 古いホームの名残を見ることができます。以前は、駅そばや駅弁の販売もあったようですが・・・。この翌年の春に「猪のぼたんめし」(200円)という駅弁を買ったことを覚えています。
1975年改訂のカラーブックス「駅弁旅行」では400円となっています。この5年間で価格が2倍。オイルショックもありましたからね。
11:33 柏原 現在の駅舎は、1990年に大阪鶴見緑地で行われた国際花と緑の博覧会の会場内で、義経号が客車を牽引していたドリームエクスプレスの山の駅として使われていたものを移築したそうです。
12:00 福知山 正午を過ぎて、山陰本線に入ります。いよいよ「遠くまで来たなぁ」という気分です。
1971年の春、蒸気機関車の撮影で立ち寄ったときの写真です。高架化以前は立ち食いそばの店もあり活気あふれる駅でしたが、完全高架化以降売店もなくなり、鉄道ファンにとっては残念な駅になってしまいました。
12:36 和田山 いつまでこの環境が残され続けるのでしょう。
駅前には、「こだわり釜めし」で有名な福廼家さんののぼりも見えます。
12:47 八鹿 八鹿と次の江原では、列車の編成が長すぎ、前寄りの数両はホームにかからない旨の放送があったように記憶しています。
12:55 江原
13:10 豊岡 ①自+②自+③自+④自グ+⑤自+⑥指+⑦指グ+⑧自+⑨自+⑩自 切り離し ⑪自+⑫自 ここ豊岡では、後部2両の切り離し作業のため、6分間停車します。
構内を散策すると、当時の面影を残すところがたくさんあります。
13:23 城崎(現 城崎温泉)
城崎駅は、2005年3月に城崎温泉駅に改称されました。現在、山陰本線は京都駅からこの城崎温泉駅まで電化されていますが、このから伯耆大山駅まで非電化区間が今も続きます。
もうすぐ見えてくる日本海の雄大な景色とともに、旧国鉄ファンにとってはたまらない区間です。
時刻も午後1時を過ぎ、そろそろお腹も空いてきました。今日の駅弁は何にしようかな。
13:46 香住
14:06 浜坂 この辺りまで来ると、急行停車駅ごとに「かに寿司」が駅弁として販売されていました。
2019年7月まで米田茶店さんで駅弁の取り扱いがありました。販売価格は昭和40年代半ばで200円、閉店間際では900円でした。
14:23 岩美
14:50 鳥取 大阪を出て5時間。時間的には、ちょうど折り返し点になります。ここでも思い出されるのは、この「かに寿し」。アベ鳥取堂さんの「元祖かに寿し」は、今や全国区の勢いですね。
鳥取では、度々駅弁を購入しているようで、「いがい釜めし」200円が強く印象に残っています。ちなみに、「元祖かに寿し」は消費税込みで、1080円で販売されています。
もう一つ、鳥取県といえば二十世紀梨の名産地。車内販売の「二十世紀梨のネクター」を、いつも楽しみにしていました。
15:07 浜村
15:24 松崎
15:31 上井(現 倉吉)
1972年以前は「上井(あげい)」と呼ばれ、1985年に廃線となった倉吉線にあった「打吹」が「倉吉」でした。
三朝温泉の玄関口であり、打吹地区にある倉吉線鉄道記念館には、当時倉吉線で活躍していたC11型蒸気機関車が静態保存されています。
15:53 赤碕
16:31 米子 ①自+②自+③自+④自グ+⑤自+⑥指+⑦指グ+⑧自 切り離し ⑨自+⑩自 ここ米子でも、後部2両の切り離し作業のため、6分間停車します。
つい数年前までは、国鉄時代のにおいが残る駅でしたが、各ホームの立ち食い蕎麦屋さんも姿を消し、鉄道ファンには残念な大改修工事が行われています。
16:14 安来
17:02 松江 夏の17時は、まだまだ明るいです。
辛うじて、ホーム売店は営業中でした。
17:09 玉造温泉
17:30 宍道
17:40 出雲市 ①自+②自+③自+④自グ+⑤自 切り離し ⑥指+⑦指グ+⑧自
17:36に到着した列車は後部3両を切り離し、17:40に出発します。
切り離された3両は、4分後、大社駅に向かって発車します。 ⑥指+⑦指グ+⑧自 17:44 出雲市→出雲高松→荒茅→17:56 大社
古い画像は、1972年5月のものです。
18:12 石見太田(現 太田市)
18:33 温泉津
石見銀山が世界遺産に認定され、銀の積み出し港であった沖泊と共に温泉津温泉も脚光を浴びました。
18:50 石見江津(現 江津)
19:15 浜田 ①自+②自 切り離し ③自+④自グ+⑤自
19:58 益田 ①自+②自
9時50分に大阪駅を12両編成で出発した「だいせん1号」、10時間8分の長旅を超え、益田に到着です。
7月中旬に利用することが多かったので、午後8時前とはいえ、まだほんのりと空に青みが残っていたような記憶があります。
2015年では、駅前の姿が大きく変わってしまっていましたが、跨線橋の階段、通路は1970年頃と何ら変わっていないように感じました。
2006年に訪れたときには、懐かしい立ち食いそば屋さんがシャッターを下ろしていたものの、岡見貨物用のDD51が常駐し、駅のホームには「スーパーおき」の車内販売の売り子さんの姿が見えます。